Report2010
犬養道子代表より基金報告
難民支援協会からの報告
2010年 収支報告 

Report2009
運営委員会より活動報告
難民支援協会からの報告
2009年 収支報告 

Report2009上半期
犬養道子代表より基金報告

Report2008
犬養道子代表より基金報告
平野委員長からの報告

2008年 収支報告

【条約難民への支援】
 ・スグレさんからの報告
 ・ヘイマーさんからの報告

Report2007
犬養道子代表より基金報告
平野委員長からの報告

カクマ難民キャンプ訪問記
Tシャツ頒布のご報告
2007年 収支報告

【条約難民への支援】
 ・スグレさんからの報告
 ・ヘイマーさんからの報告

Report2006
犬養道子代表より基金報告
平野委員長からの報告
2006年 収支報告
【条約難民への支援】
 ・スグレさんからの報告
 ・ヘイマーさんからの報告


Report2005

犬養道子代表より基金報告
平野委員長からの報告
2005年 収支報告
【条約難民への支援】
 ・スグレさんからの報告
 ・ヘイマーさんからの報告

  

 

 

 

 

 

 


Report [事業報告]

◆2006年 犬養道子基金報告

 今回は趣向を変え、御挨拶御礼の前にまずルーマニア在のコンゴ難民少女レティチア(ラテン語での“よろこび” 写真、犬養の隣)を中心にする写真をお見せいたします。混乱と窮乏のさなかのルーマニアでの、たったひとつの「難民・成功物語」。

 旧共産圏、東欧の中で最も貧しいルーマニアは2007年にEUに加盟することになっていますが、それと同時に正式に「フランス語圏」に入ります。つまり、公用語はルーマニア語とフランス語二つになるのです。レティチアはフランス大使館がずっと前から設立し援助してきた「フランス語学校」の一年生で、成績はおどろくばかり良く、友達(半数以上はフランス人、ベルギー人)ともとても仲良く「毎日がうれしい」。「よく育てられている」印象を私が強く持ったのは、JRSルーマニアのリュック神父(写真・左端)運転の車の音と共に飛び出してきた彼女が、杖にすがる私を見るとすぐに近寄って手をとり、歩く道の石を取り去ったり、「ここは危ない。別のほうから行こう」などと助け続けてくれたから。 

 なぜ遠いアフリカ・西部のコンゴからルーマニアへ?複雑な歴史が背後にひかえています。15〜19世紀まではまず安穏だったコンゴはダイアモンドと黄金と石油というすばらしい地下資源を持っていました。今もむろん地下にはありますが、それらの資源を争う多くの(コンゴ)部族と他国の干渉もあり、1960年からこんにちまで戦乱・争剋つづき。19世紀以降この地を植民地としたフランス・ベルギーからせっかく独立した1960年代の流血、殺人続きの、混乱状態に陥りました。コンゴ民主共和国とコンゴ共和国との二つに分かれてしまった事情はあまりにも複雑ですから書きませんが、そのようなややこしい状態中から1990年以降、争うように多数の難民がとりわけコンゴ共和国から遠い東ヨーロッパのルーマニアめがけ、時には巨大なアフリカ大陸中部を歩いてまでやって来るようになりました。理由は、コンゴ内の違ういくつか部族語を互いにわかる共通語・フランス語にまとめられた過去がいまになって幸運をもたらせ、東ヨーロッパ内でたった一つのフランス語系言語ルーマニアが浮上したからです。しかもそのルーマニアは自身、東ヨーロッパ内での最貧国ですから流入し続けるコンゴ難民を強制送還する金がない―このことを流入してくる人々はよく知っていたからです。

 そのルーマニアが2007年にはEUに加盟します。加盟ののち、難民に対する政策がどう変わるのか、「変わる前に一日も早く」と続々と流入してくるコンゴ人は増加の一方。仕事の場は不足。職場争いは当然起ります。そういうややこしい事情に答えたのがMIF・JRSのコンピュータースクール(及び、各種各分野の職業スクール)。

ティチアの父ジャン・ルイはフランス人も感服するほどのフランス語能力を持っていましたが、来年からでないと正式に公立高校の教師にはなれないため、10年前にコンゴを命からがら出たときに身につけていた養鶏や果樹栽培で一家を養ってゆこうと決心したのです

  

レティチアの家族

 いつ娘と妻(ルーマニア国籍)をよびよせたのか、彼女たちがどのようなルートでルーマニアまでたどりついたのか、一切は話しません。あまりにもつらく悲しい旅路だったから。「養鶏場とニワトリと畑地を買いたい。自立のために」と犬養にジャン・ルイが長文をよこしたのは6年前のこと。委員会にはかり、OKを得て2002年、邦貨16万円相当を送りました。そしていま、1000平米の農地に15羽のニワトリを飼い、果樹を育ててジュースをつくり、売って、一家は自立したのです。ニッポンの寄付者のみなさまに一家こぞっての「ありがとう、ありがとう」のメッセージ。およろこびくださいませ!ありがとうございました!!

 

 景気上昇などと言われてもピンと来ない時代。天災多く悲しいニュースも多い一年でございました。皆様いかがお過ごしになりましたか。新しくスタートする年こそ、も少し安らかな年となりますように。景気如何にかかわらず、2006年にも変わらぬお志をいただきました。厚く御礼申し上げます。

 さて、JRS・MIFの現状は経済的にも内容的にも今までよりずっとむずかしくなりました。以下をご覧下さいませ。

 JRSの五大教育プロジェクトの中には(とりわけアフリカとタイ北西部)、@むずかしい新しい型の難民少年少女が増加し、AEU加盟国増加と共に「それらの国に庇護を求めてゆくことはとても難しくなるからいまのうちに」と考えて相変わらずの内紛(プラス飢餓地拡大)を逃れ、Bヨーロッパ各地をめざす「流浪の人々」が増える一方。ローマのJRS本部での「新到着者」のための昼食だけでも毎日500食ではとても足りないありさま。

 夜間にひっそりたどり着いて来る人々(ときに100人以上)の「夜の宿」提供をローマ市から正式にたのまれたJRSは中心的グループのまわりに数十人のボランティアを抱えていますが、今までの支援金ではとても足りない。上記@の「むずかしい難民青少年」とは、各地の紛争の「敵側も味方側も」拉致していくおびただしい数の少年兵や卑しい強姦相手の少女たち多数。運良く逃げてきた(またJRS側も命をかけて危険地帯に入って彼らを見つけて助け出した)のちの「安穏キャンプ」を各地にオープンしなければならなくなった。心も体もボロボロの少年少女を正常の状態に戻すためには数年がかかります。最善の「回復への道」は算数や読み書きやコンピューター使用の「教育」ですからMIFは何としてでも支援したい。拉致体験少年少女はアジアからスペイン領カナリア群島までひろがっています。

* 日本国内への難民許可申請者(国籍はアフリカ、ミャンマーなど)は、2006年、飛躍的に増加しました。申請者は657名(2006年夏現在。更に増えている)に達しているにもかかわらず、許可されたのはたった46名だけですが、受け入れられるまでは収容所あるいは低家賃のアパート住まい。新入管法によれば、仮滞在許可証を受けることが出来ても一切のアルバイト禁止。住まいも限られており、この生活費を難民支援協会(東京都新宿区四谷1-7-2-4F)が苦労して支援している状態です。難民受け入れにおいて先進国中最も厳しい状況の中で活動をしている難民支援協会を当基金は今後も支援していきたいと思っております。難民支援協会のサイトは、http://www.refugee.or.jp/ 。

* 以下はJRSが火急に求めるボランティアについてのお知らせ。JRSからくれぐれもと頼まれました。

  • 第一陣として、一年のうち丸一ヶ月のボランティア。行き先は、@タイ国北西部マエ・ホン・ソンのキャンプ内。 Aケニア国内カクマキャンプ内。

  • 英語で、英語(初歩レベルと高校程度の二種類あり。どちらも必要。)と算数(高等数学も含む)、コンピューターを教えることの出来る教員を1000名。

  • 国籍、信教如何を問わず。

  • 第二陣として、少なくとも数年をタイ、ケニアのキャンプでボランティア及び教師育成に携われる人材。

* 以上の事情を踏まえ、御支援の皆様におすがりするだけでは申し訳ないと考えてMIFの私たちもTシャツデザイン・制作・販売を考えております。デザインはこの報告文の後をご覧ください。
このTシャツにつきましては、詳細が決まり次第、早々に皆さまに「緊急お知らせ」をお送りいたします。

長文をお読みくださり感謝申し上げます。どうぞお健やかに。よい御年越しを心から祈り上げます。

2006年 11月末 犬養道子

 


(C) Michiko Inukai Foundation