Report2010
犬養道子代表より基金報告
難民支援協会からの報告
2010年 収支報告 

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Report [事業報告]

◆2010年 犬養道子基金報告

 

基金ご支援の皆様へ

  気象庁始まって以来の長い酷暑の夏の後、ご寄附者の皆様各人、如何お過ごしかと案じ上げております。

世界中、気象も政情も一変いたしました。万事不安定な今の世の中は、犬養基金発足時(今から31年前)とは全く変わりました。変化しつつ進み、あるいは退くのが世の常である限り仕方ありません。しかしその不安定さのさなか、皆様から頂く御志は変わりません。驚きと言葉には表せない感謝をもって現在までにお寄せ下さったご寄附の額を見つめております。

2010年度犬養基金の活動を具体的にご報告したいと思います。

(1)難民医療支援 (難民支援協会との協力)

対難民については、数年前まで誠に「人間らしい扱い」を示して来たヨーロッパ諸国が一変して到着早々収容所に送る方針に、日本国も同様で早々に収容所へ送られるのが現状です。なぜ犯罪人同様の扱いをされるのかわかりません。このような人々のために難民支援協会と協力し、支援しております。

実例 T

 政治的立場のために政府から追われ命の危険を感じ家族と別れ、悲しみの限りを味わいながら逃げ、やっとたどり着いた日本で受け入れてもらえず収容所へ。この驚きと失望が原因で祖国在住中から兆候のあったPTSD(心的外傷後ストレス障害)が悪化。収容所内では頼んでも医師の診察は不可能でした。心身共にどん底の苦しみを味わい2010年やっと仮放免になりました。なんと来日から8年が経っていました。仮放免となった翌日(2010年8月)やっと難民支援協会と連絡が取れ精神科医の診察を受けることが出来ました。¥35,480が犬養基金から支払われましたが在留資格は日本政府から与えられてないため今後も治療を受けるお金が有りません。

実例 U

 アフリカ人の男性は生命の危険を感じ逃走。来日直後にひどい腹痛を訴え救急車で都内の病院に運ばれ精巣静脈瘤等が発見され¥250,446が難民支援協会を通し犬養基金から支払われました。

以上は難民と呼ばれる人々の多くに見られるケースです。上記のケースも「これで万全、治ります」ではなく今後手術や治療継続が必要なのです。難民医療支援ネットワークを設立したことで上記のような人々の命そのものを救う事が出来ますのも支援して下さる皆様の御厚情あってこそと感謝いたします。

(2)難民奨学生

学費支援対象であったソマリアのスグレさん、ミャンマーのヘイマーさんの二人は幸いに自立出来、犬養基金の助けは不要となりました。

(3)海外支援

ローマに本部を置き犬養基金とは1992年以来共に活動してきたJRS(イエズス会難民サービス)とは今日も密な連絡をとり、本年度は些少ですが約400万円(ユーロで)送金しました。これは難民問題が今や(特にヨーロッパで)各国内人道問題となって来た事を巡り、今までのような善意(これはいつも第一の必要事ではありますが)だけのボランティアではなく、国内法、ヨーロッパ共同体法、各国(アジアの国々も含む)の法律を熟知し議会などで法的に説明出来る人材が必要になりました。このような人材育成のための資金となります。

(4)基金としての今後の課題

T)アジア、東欧、アフリカの一部に於いてクラスター爆弾の被災被害青年少女の自立を可能にする技術教育機関を設立。まず第一にはプノンペンにでもと考えております。悪名高いクラスターとは非道無慈悲この上ないもので、犬養は内戦中のバルカン半島で数十人の少年少女被災者の現状に接しました。見た目に美しいもの、面白い形のものが草原の中に置かれ子供達が拾ったとたんに爆発し、両眼、手足が吹き飛ばされるケースが多くあります。すでに対バルカンには教育費、治療費、自立費としてJRSバルカン支部を仲介として送ってまいりましたが今後も続けたいと思っております。

U)国内難民に関し政府に下記の件に対し陳情することを考えています。「空港から直ぐに収容所に」ではなく「何が出来るか」を糺して、日本には希少なフランス語、ポルトガル語等の語学能力を生かす就労をさせること。収容終了後国内滞在許可を与えた人達に就労は許可されないという不合理極まりない現法律を変えさせること。日本人の職場が奪われるのではとの意見もありますが、過疎地で人手を求める場が多いのも現状です。欧米でも昨今は「難民はまず収容所」という厳しい現状がありますが収容中は各自の信教に基づいて牧師、神父、僧侶などに会わせて貰えます。欧米での収容期間は18ヶ月が最長ですが、日本では数年も放置され相談相手もいないのが現状です。

(5)皆様の支援のお陰による明るいニュースをお知らせしたいと思います。

1)バルカン半島でクラスターのため兄弟二人で手は3本、足も3本失われたが幸いに残された手足を二人で分担して将来老いた両親を支えるために機械好きの性格を生かし露天修理店(タイヤ、自転車、車椅子等)を開き、専門家に賞賛されるレベルにまで達しました。食べる事が出来、貯金さえ出来るようになりました。

2)アジアの一隅からの手紙

戦争が残していったクラスターで下半身がなくなったけれど頭と眼と両手は使える幸せな身なので生まれつきオシャレだから美容院を自宅の玄関で開きました。今の所うまくいってます。サンキュー道子。

3)アフリカの一地点から

教育費援助のお蔭でニワトリの飼育を(最初は5羽から)スタート。卵が売れるようになり自立出来ました。

 

ありがとうございます。       2010年12月  犬養道子

 

 


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