Report2011
犬養道子代表より基金報告
犬養道子さんとの再会(松村氏)
難民支援協会からの報告
2011年 収支報告
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Report [犬養道子さんとの再会]

◆前国連世界食糧計画(WFP)ギニアビサウ代表 松村裕幸

 24年前の1987年の4月に犬養道子さんと初めてお会いしたことを今でも鮮明に記憶しております。

マラウイでの出会い:

 当時はWFPのアフリカ勤務の2カ国目で、 南部アフリカに位置し、北にタンザニア、西にザンビア、東と南をモザンビークと国境を接した小国マラウイに1986年の8月からモザンビークより転勤して来ておりました。

 マラウイは、当時はこれといった産業も資源も無く、南アフリカへの出稼ぎと高地のため紅茶生産で経済が成り立っている最貧困国でした。アフリカ独特の雨季の期間のたたきつける雨のため、土地の栄養分が高地から、沿岸部のモザンビークへ流れ、ヨード不足のため、のどにこぶが見られる甲状腺腫を持った栄養失調の人が多く、5歳児以下の子供の3分の1が栄養失調という飢餓最前線の国でした。

 そのような自然社会環境の中で、1974年から続くモザンビーク内戦のため、紅茶を輸出するモザンビークのナカラ港とマラウイを繋ぐ鉄道が完全に寸断され、経済が麻痺し、その上に、1986年11月よりモザンビークの難民が入り始めて、当時20万人に達して、困窮した最貧国が難民を受け入れるという社会的にもかなりの混乱を極めておりました。1990年にはその数が国内人口の1割にも相当する100万人以上に達しました。 

犬養道子さん:

 犬養さんはザンビアのルサカ経由でマラウイのリロングエ空港へ到着なさいました。飛行場まで出迎えに行きましたが、飛行場でトラブルに遭いました。

 先ず、もんぺ姿でいらっしゃったのですが、当時はマラウイの独裁者バンダ大統領の下では、男性はヒッピーの髪形、女性はズボンの着用が禁止とされ、入国が認められておりませんでした。そんなわけで、もんぺからスカートに着替えてようやく税関を通らざるを得ませんでした。

 高齢でお嬢様育ちの方で果たしてアフリカの、それも道路事情、生活環境の厳しい難民キャンプまで行けるのかと自分勝手に思っておりましたが、バックパッカーの格好で、泥水から飲料水に出来る容器や雨にも風にも耐えるマッチを用意なされていて、逆にこちらが励まされ、ガタガタ道の約500キロ離れたモザンビーク国境の南部のヌサンジェまでご一緒しました。シャワーの出ないホテルでも愚痴も言わず、もう慣れたものでした。

 難民キャンプでも学校が出来ているにもかかわらず、まだ学校が始まっていないとみると、国連高等弁務官事務所UNHCRの職員へ「教科書はどうなっているの?」「教科書はなんとか届いたのですが・・・」「じゃ、なぜ学校が始まっていないの?」とするどい質問をされておりました。結局、生徒の制服が出来ていないことがその原因とわかり、UNHCRのマラウイ代表へ直談判して、学校を始めさせるという行動も起こされました。

 リロングエでは現地の教会にも行かれ、ミサに加わり、現場主義でFor others with othersという言行一致の方だと痛感させられました。彼女との出会いが私の通算アフリカ26年の原点になり、13回マラリアに感染し肝炎にもなりましたが、アフリカで勤務する力になったと言っても過言ではないと思います。

 昨年2010年の2月末に30年勤務した国連を退職しましたが、犬養道子基金でお手伝いできれば光栄と存じ、その志を強くしているところです。


 


(C) Michiko Inukai Foundation